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ひでちゃんのこと。
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彼が亡くなって四十九日が過ぎたころ、彼の家に行きました。
 
告別式ではゆっくりとご家族と話もできなかったので、行ってもいいですか?と頼んでみたら快く迎えてくださった。
 
快晴で、やわらかな風が吹き、なんとも気持ちのいい5月の日。
 
バス停で彼のお母さんが笑顔で迎えてくださり
家には妹さんとお父さんが私が来るというのでわざわざ予定を空けて待っていてくれていた。
 
ようこちゃんから買った白い花束を手渡したら、すぐにきれいに生けてくれて彼の写真の前に飾られた。
 
初めて来た、言ってみれば他人の家なのにどういうわけか前から知っているような気がした。
彼の気配が残っているからだろうか。
 
足を踏み入れたとたんに涙があふれた。
 
彼の写真の前には大きなシャクヤクとユリの花も生けられていた。
 
彼のお母さんが、
「このシャクヤク、まだ固いつぼみだったのに昨日から急に咲き出したんですよ。あなたが来るからひでちゃん急いで咲かせたんだね。」
と言った。
 
甘い紅茶とサンドイッチのもてなしを受け、
4人でずっと彼の話をした。
 
私は彼が世にもめずらしいほど、素直で純粋な人だと思っていたら、彼の家族みんながそういう人だということが分かった。
家族同士がお互いに、素直に愛の表現ができる人たちだった。
 
「うちはね、それが当たり前なんですよ。」
と彼のお父さんが言った。
 
確かに彼は恥ずかしくなるほど、愛情表現が豊かで自分の気持ちに素直だった。
こんな人っているんだなあと感心したものだ。
それはやっぱり彼の育った環境が、家族がすばらしいからなのだ。
 
でもあんな重い病に冒されて
この子は恋愛のひとつもせず、大好きだと思える人もいないまま死んでいくのかもしれないと思ったら
何のための人生なのかと感じていたそうだ。
 
ずっとバンドに夢中で、モテるのにほとんど女の子と付き合ったりもしなかった。
 
「だからねえ、ひでにとって初めてだったと思いますよ。
 こればかりは家族では与えられない喜びだから。
 本当に感謝しています。
 私もあなたの父親になりたかったけどね。」
 
また泣けてきた。
ユリの香りが急につよく匂った。
カーテンがはためいて私にまとわりついた。
 
 
 
私が彼に出会ったとき、すでに死を宣告されていた。
本人には言ってなかったそうだけど、たぶん彼はなんとなく分かっていたんじゃないかな、と思う。
脳腫瘍で、見た目は全く普通で元気だったから、彼は病人という感覚はなかった。
宇治という場所で出会っただけに、よほどのことで来たのだろうとは思っていたけど。
私は彼の元気な姿しか知らない。
 
「死」を受け入れるまでは時間がかかる。
何度「生き通しで、肉体は亡くなっても魂はずっと続いてる」
教えられていても、リアルに直面すると素直には納得できないものだ。
 
 今少しずつ、私も彼の家族も、彼のこの短い人生の意味を理解しようとしている。
みんなに教えてくれるために生まれてきた、
彼は本当に天使だったんだと思う。
 
私なんて彼の人生の最後の最後にほんの少し顔を出したにすぎないのだけれど、
彼のお父さん曰く、
「あなたとの出会いはひでにとって逆転満塁ホームランでしたよ」
と笑って言ってくれた。
 
私も普通に暮らしてたら出会えるはずのない人だった。
彼も病気になっていなかったら私には絶対に出会うことはなかっただろう。
皮肉だけれどギリギリセーフで出会って、想い合えて、今考えると奇跡的なタイミングとしか言いようがない。
そんな事を私が言ったら
 
「私たちはグループ・ソウルなんですよ。そう言うらしいですよ。
 あなたのことも他人のような気がしない。
 お互いいろんな形で生まれ変わって魂の学びをするんですよ。」
 
なんだか丸ごと受け入れてもらえたような気がした。
私はずっとここにいたいような気持ちになった。
 
最後に彼の声を録音したテープを聞かせてもらった。
入院中に毎日、ある詩を一つずつ録音していたそうだ。
久しぶりに彼の声を聞いた。
だんだん背中とか胸のあたりがあたたかくなるのを感じた。
今日はずっと一緒にここにいたんだよね。
 
このテープをダビングしてもらえないかと頼んだら快く了解してくださって、
じゃあMDに録音して送りますねと約束してくれた。
 
以前私が彼にあげたお守りのことが気になって
それもよかったらいただけますか?
それ、つけたいんです。
と頼んだ。
大事にしまわれていた、なつかしい品が私の手に戻ってきた。
 
気づくとずいぶん長い時間が経っていた。
なんとも穏やかで、幸せな時間だった。
本当に私は彼に、彼の家族に出会えて良かったと思った。
  
また、東京に来たときは来て下さいね。
宇治にも一緒に行きたいね。
 
あたたかい言葉に見送られて帰りのバスに乗った。
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ひでちゃんが亡くなって一カ月ほど経ったある日の朝、
出かけようと思ったら私の携帯電話の電池の表示が一個だけになっていました。

充電する時間もなかったのでしかたなく電車に乗りました。
その電車で隣に座っていた男性がヘッドホンで音楽を聴いていて、その音がかなり漏れていて、
聞くともなく聞いていたら突然ある歌詞がはっきり耳に入ってきました。

「ずっとあなたのこと大切だから」

彼が亡くなってからかなり神経過敏になっていた私はこの時点で泣きそうになりました。
さらに続いてこう聞こえてきました。

「気づいてほしい」

泣き顔をごまかそうと、携帯電話を開いてみたら
朝一個しかなかったはずの電池が満タンになっていました。

それから数日の間電池は満タンのままでした。
私は彼が存在を示そうと必死になっているような気がしてなりませんでした。

この現象は数カ月の間に何度も起こり
私は、ああ彼は確かに存在しているんだと、実感できるようになりました。
同じような経験者と話をすることが、心を癒すにはきっと一番なんだと思います。
でも私の場合は、同じ境遇の人というのは(当然ですが)なかなかいなくて
慰められるほどに傷つき、怒りさえ感じてしまう日々でした。

恋人や夫がいる人に慰められるほど、怒りを感じてしまい、自分でもどうしていいか分からずに
拒否し、偽善者だとしか思えず、またそんな自分が嫌でたまりませんでした。

これは今でも時々沸き起こってしまう思いです。
とくに結婚式に出なければならないという日はつらかったです。
まったく人の幸せを喜べない自分がいるからです。

まずはそう感じてしまう自分自身を許していくことなんだと思います。
いつかもっと心から人の幸せを祝福できますように。
きのう、職場の親睦旅行で水族館へ行った。

思えば3年前にひでちゃんと初めて出かけた場所が水族館だった。

意識していなかったのだけど、水槽を見て回るうちに少しずつ当時の記憶がよみがえっていた。

イルカショーを見たとき突然涙があふれそうになって驚いた。

涙が出る自分に驚きながら、

まだこんなにあの時の感情が心の奥にしまわれていたんだということに気付いた。

こうしてひとつずつ感情が解放されていくのだろう。

ある夜中に突然目が覚めたらカーテンの隙間からきれいな光が漏れていました。

満月の光が煌々と輝いていて、窓から月光を浴びているようでした。

次の日も、その次の日も、同じ時間に目が覚めて、

私は月光を浴びていました。

その光はひでちゃんの愛情のような気がしました。
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