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ひでちゃんのこと。
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その後、私は東京での全国大会に行って愛知の教化部長に会った。
あいさつをして、じゃあ今度の職員研修でってことになった。
ろくな面接してないし、履歴書すら書いてないのに、あっさり決まった。

東京から宇治に戻ってきたら両親が来ていて一緒に短期練成を受けた。
でもまだ親と一緒にいるのはなんとなく気まずかった。
ゴールデンウィークだったから人がいっぱいだった。

ごはんの時とかもずっと親と一緒にいたから研修生の仲間は気を使って
あまり話しかけてきたりはしなかった。
でもひでちゃんだけは普通にうちの親にあいさつしにきた。
またまたうれしそうに。
私が両親と一緒にいることを喜んでくれているみたいだった。
それにしてもすごい。
その時も私に好意ありますって態度で堂々とやってきたから。
お母さんがあの子は何で来てるの?って聞いたけど、
私はただ「なんか、ちょっと病気みたい」
とだけ言った。

親と初めて受ける浄心行。
私は親と並んで受ける勇気がなくて3人ともばらばらに離れて座った。
ひでちゃんが誘導係で私の番になった時、私をこづいて、
「なんで親と一緒にいないの?!」
信じられないという感じで言ってきた。
なんとも答えようがなかったけど
「まだ、恥ずかしいから」
と言った。

その時ふと自分の浄心用紙を見た。
私の名字は「竹内」で、母の旧姓は「小暮」だ。
2つの名前を並べて用紙に書くのだけれど、
「小」と「竹」の文字が横に並んで「小竹」になっていた。
鳥肌が立った。
そういえば小竹くんの名前は秀和。
私の父の名前は秀夫。
そんなことに気づいて、
なんか彼とは縁があるのかなあって思った。


          *          *          *


練成が終わった。3か月に及ぶ研修生活も終わった。
両親と私は先生たちにお礼を言った。
宇治のおかげで本当にすべて良くなって、環境が整った。
両親も再び生長の家にふりむいてくれた。
私も母のおかげで研修生ができたのだ。
まだ素直に親に感謝の表現ができない自分ではあったけれど、
少しずつやっていこうと思った。

両親は先に帰って、私は帰る準備とか、研修生にあいさつがしたくて一日残った。

みんなが祝福してくれて、幸せだった。
本当に宇治に来て良かった。
もう少し居れたらいいのに。

楠本先生に総務室に呼ばれて行ったら先生は「愛」と大きく書かれた色紙を
下さった。
「これはあんまり他の人に見せるなよ。みんな欲しがっちゃうからな」
本当にうれしかった。


私が帰る時、ひでちゃんは自分も同じ日に東京に一時帰宅するから
一緒に行っていい?と言っていた。
いいよ。さいごに一緒にごはんでも食べよう。

京都駅の地下街で今度は洋食屋さんに入った。
私はオムライスでひでちゃんはハンバーグを食べた。
それ肉じゃんって言ったら、今日は特別なのって言った。
そのとき何をしゃべったのかは覚えていない。

そのあと私はお土産を買いたいって言って一緒に土産物売り場に行って
いろいろ買った。
ひでちゃんも家族に何か買ってた。
レジで福引き券をもらったので二人で引きに行ったら、
なんと千円分の商品券が当たった。
この地下街のお店ならどこでも使えるらしかったから
じゃあこの千円分使って帰ろうってことになった。

地下街をぶらぶらして、なんか甘いものが食べたいねって言いながら歩いてたら
大きなパフェを発見した。
ちょうど千円で、コレ一緒に食べよーって言ったらひでちゃんは、いいの?って
言った。
2人でひとつのパフェを食べようと言った事に驚いたみたいだった。
だってコレちょうど千円だよ。

私は宇治でかなり太った。5キロは増えたと思う。
もう自分でもはっきり分かるくらい顔も体もパッツンパッツンだった。
だからコレ食べて、明日からはダイエットだー!
って言ったらひでちゃんは、
「やせないでよ。そのほうがかわいいよ」
って言った。
なんでそんな歯の浮くようなセリフが言えるわけ?
よく言うの?そういうことって私がかああっと照れながら言うと
ひでちゃんは否定して、
「いやなんか、よしみちゃんには言えてしまう」
とまた恥ずかしいセリフを言った。

あーでも行っちゃうのかあ。帰っちゃうのかあって何度も言った。
最後に握手をしたらひでちゃんは私の手を思いっきり、ぎゅーっと握った。
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教化部の職員研修は5月の11、12日の2日間行われて
私はてっきりもう翌日から働くのかと思っていたら、
「じゃあ6月からよろしくね」
と言われてしまって拍子抜けした。

なんだあ。あわてて帰ってこなくても良かったじゃん。
6月まで何したらいいんだ~

再び練成を受けることしか思い浮かばなかった。
あんなにみんなと別れを惜しんだのに、一週間もしないうちにまた宇治へ出かけた。
せっかくだから伝道練成まで受けよっと。
働きだしたらそうそう練成なんて受けれない。

宇治に着いてみんなに再会した。

ひでちゃんとはあの後何度かメールをしていたので行く事は伝えてあった。
私を見つけたとたんもの凄い勢いで走ってきて、
「こんなに早くまた会えるなんて・・」
とまた私には恥ずかしいセリフを放った。
でも私も会えてうれしかった。

あんまり突然に仕事が決まって心の準備ができていなかった私にとって
この練成を受ける事ができたのはとてもありがたいことだった。
たくさん祈ってもらって、本当に人を拝むってすごい。
実相を祈れる自分になりたいと心から思った。

伝道練成の最終日にひでちゃんとペアになって伝道をした。
ひでちゃん先導の招神歌は澄んでいてとてもいい声だった。
さすがヴォーカルをしてただけあるなあ。
思えばこの時が2人だけで一緒に聖経を読誦できた最初で最後の日だった。
この伝道は本当に楽しかった。

そうして本当に練成も終わって帰るとき、
ひでちゃんは
「5月末に検診でまた一時帰宅するから、そんとき名古屋に遊びに行ってもいい?」
と言ってきた。
私は6月まではヒマだったし、せっかくだから名古屋を案内してあげようと思って了解した。
なんだか楽しみだった。

5月25日にひでちゃんは9時半ごろ名古屋に着いた。
なんか名古屋で会ってることが不思議だった。

私は名古屋らしいもの、名古屋らしいもの・・とずっと考えた末
ひつまぶしだ!(笑)
と思ってひつまぶしの店に連れてったら
「おれ、うなぎダメだって言ってたじゃん」
って言われて
あ~そーいやそーだあ。忘れてた。ごめんごめん。
じゃあどうしようかあって考えて結局矢場とんに連れてった。
ひつまぶしがだめなら味噌カツしかない!
豚さんに少々罪悪感を感じつつ。

その時は最近の研修生の様子を聞かせてくれた。

ひでちゃんに、この矢場とんの豚の絵のTシャツ売ってるんだよー
って言ったら、せっかく名古屋まで来たから買うって言って
レジでたくさん色とかサイズとかひろげてもらってた。
確かさんざん迷ったあげく、赤色を買った。あれ?黒だっけ?

そのあとふたりで名古屋港水族館に行った。
水族館は久しぶりだった。
ゆっくりまわって、イルカショー見て、
イルカの大きな水槽の前で座ってずっとふたりでぼけっとしてた。
話もした。
私が絵描くの好きだとか、ひでちゃんがまたバンドやりたいなあ、とか。
やれるよ。やればいいじゃん。

けっこう長いことそこにいた。
私はどうしてこんなに落ち着くんだろうって思った。
こんなに長い時間男の子と一緒にいて、私、全然気つかってない。
すごく楽だ。
こういう人はじめてだなあ。

ひでちゃんは後から、あの時はすごくもどかしかったよ(笑)って言ってた。

水族館を出て、最近この近くにイタリア村ってのができたから行ってみた。
そこでちゃちなゴンドラに乗った。
すごく揺れた。
私はなんだか幸せな気分になってしまって、
今日時間過ぎるの早いなあって思った。

ゴンドラに乗った後、ぶらぶらとお店とかを見て回った。
ベネチアングラスとかきれいだった。
天使のおきものとか、オーナメントを売っているお店があって
私がじっと天使のおきもの見て、かわいいなあとか言ってたら、
ひでちゃんは唐突に
「でもおれの天使はここにいる」
って言った。

ひええええっと思った。
何言ってんの?!アンタ大丈夫?!
って言ったら、じょうだんじょうだんって言ってたけど
目はマジだった。
そんでまたあとから
「でもホントに天使だよね」
って言った。

もう笑うしかなかった。
なんて返したらいいか分からない。
そんなことがするりと言えるひでちゃんのほうこそ天使だと思う。

ピザを食べて、もう帰らないとねって名古屋駅に戻った。
新幹線の改札の前でひでちゃんは
「これから何があってもひとりじゃないからね。大丈夫だよ」
と言った。

そのとき思った。
離れるの嫌だ。
さみしいよ。
私はだまってしまった。

ひでちゃんはそんな私の頭をなでた。
もうそのときに私はひでちゃんが好きなんだあって、はっきり分かった。

急にしょんぼりした私を見てひでちゃんは
もう時間も遅かったのに
「もうちょっとだけ、お茶でも飲む?」と言ってくれた。
ひでちゃんは私が宇治を卒業したことを寂しがってると思ってるらしかった。

改札の近くのカフェでお茶を飲みながら、
私はひでちゃんの素直な表現がうれしかったとか、
なんかひでちゃんとこれから離れてしまうのは寂しいとか、
もっと一緒にいたかったとか、
そんなことをぽつり、ぽつり、話した。

そうしたらひでちゃんはしばらく黙っていたけど、
決心したみたいに私を見て、
「好きだよ。」
と言った。

でもそれは言わない事にしようと思ってた。
なんて言ったけど、あんなセリフたくさん言っといて
まる分かりだよ。
そうだよね。でもよしみちゃんを見ると言わずにはおれなかったんだよ。
って言った。

そうして
「つきあってくれるの?」
って言うから
「うん。」
って言った。

2人とも訳がわからない状態になっていて、
そのあとずっと黙ってた。
言葉が見つからなかった。
さっきとはまるで違う世界になっていた。

そしてカフェを出て、
はじめて手をつないで、歩いた。


          *          *          *

2007/3/11

「宇治での日々」はひでちゃんが亡くなってすぐに書いたものです。
今読むとものすごく恥ずかしいし、文章もめちゃくちゃ下手なんですが、
私の中のひでちゃんの記憶を一瞬たりとも忘れたくなくて、私の記憶のありのままを書きました。

一番ひでちゃんが輝いていた時だったのだと思います。
私にとっても今までの人生の中で一番充実して、濃い時間を過ごしていた時期でした。
この文章を彼のご両親に送ったら、こんな手紙をいただきました。

「すばらしい『思い出』をありがとうございました。私たちは秀和とのきびしい時間の思い出が強くて、不自由なからだでけんめいに生きた日々の様子ばかりが思い出されて、かなしくてたまらなかったのですが、こんなに元気で可愛くて聡明な女の子に出会って、輝くような日々を過ごしていたんだということがわかって、一つ一つ情景が見えるようにわかって、本当に嬉しいです。秀和の人生が幸せに満ちていたんだとわかって、本当に嬉しいです。芳実ちゃんからいただいた『思い出』は私たち夫婦、秀和の兄妹にとっても一番の宝物です」

私はこの手紙を読んで、何度も何度も泣きました。
私はひでちゃんの宇治で過ごした日々を、彼のご両親に伝える使命があったんだ、
ひでちゃんはこんなに笑顔で元気でしたよと伝えてほしかったんだと思いました。

宇治で3カ月研修生をしたひでちゃんは、東京にもどり、私たちは遠距離恋愛になりました。
ひでちゃんの体は、少しずつ死に向かっていました。
その過程はまだ思い出すのがつらくて書けずにいます。
思うように会えない寂しさと、彼が死ぬかもしれないという現実を突き付けられて、
本当にどうしていいのかわかりませんでした。

 思うように会えず、彼の病状も分からず、ただただ彼の幸福を祈るばかりで、でも不安で苦しい時間を過ごしていた私は、思い切って宇治でとてもお世話になっていたかずこ先生に、今の状況と不安な思いを書いた相談の手紙を出しました。
 彼が亡くなる一カ月前に返事が届きました。

「合掌 ありがとうございます。
新年を新しい気持ちで感謝に満ちてお迎えになられたことでしょう。
お手紙ありがとうございました。喜古さんがあなたのところへ行かれる のはきいていました。さぞかし楽しかったことでしょうね。喜古さんも気持ちを飾らず、何でもお話出来る相手を得てどんなに幸せなことだったでしょう。

 小竹さんのこと、いろいろきかせて下さって有難うございました。清水さんにきいたり、藤井さんにきいたりと東京の人にきいていましたが、“どうしていらっしゃるのだろう?”という気持ちはいつもありました。

 練成会へこられて、個人指導をさせて頂いたご縁で、ずっとご縁を感じていました。“お元気になって欲しい”という想いも強くありましたので、宇治におられる間もよくことばをかけて体調のことなどをきいていました。

 あなたという生きる目標とよろこびに目覚められてからは、さらに明るくなられ、体調もすばらしくよくなられ、下山されるとき、私にきちんと竹内さんとのことを、本当にうれしそうに話して下さり

「こんな病気になったのも、竹内さんとめぐり逢う為、出会う為だったという気がする」

と言われ

「大切にして上げて下さい。愛する人の為に生きるとき、身体も健康になります」

と話して、祝福したことでした。よい出逢いをなさったとお二人のことを喜んでいました。

 竹内さんのこと、あなたはすばらしいと思いました。条件でいえば、決してよい相手ではなく、経済力もなく、社会的地位もなく、身体は病気が全快というわけではない相手を愛して、大切に交際していこうとなさっていることにです。

 現代の女性の殆どは、条件のよしあしで恋愛もはじまるということも多いのですが、あなたは条件的には(現象的な)そんなによくないというより、悪い条件の小竹さんを愛したのですから、小竹さんの人間的なすばらしさだけを観て愛し、ついていこうと思われ、それで幸せを感じていられたのですから・・すばらしいと感心していました。

 お母様と話し合ったり、相談したり・・それは本当によかったですね。
 体調の方と、あなたとの恋愛の方、その後の進展もどうぞお二人共が 幸せになられる方向に進みますように、ずっと祈っておりました。

 今、あなたにひんぱんに連絡をしてこられないのは、そんなに連絡をとる自信もないし、心に余裕がないのでしょう。余裕がないというよりあなたを幸せにする自信を失ってしまって、お別れした方があなたの為になるという気持ちではないでしょうか。或いは体調が思わしくないのかもしれません。あなたも私も今こそ、小竹さんの実相顕現を祈りましょう。

 あなたが悩んだり、苦しんだあげく、今は相手の幸福を祈るだけになり、相手に求めることをやめられたこと、大したことです。それこそ報いを求めない愛です。

 与える愛は失うものはないのですね。どうぞ途中で投げ出すことなく愛し続け、祈り続けて下さい。
 あなた自身が大きなものを得られます。
 私もこれからもいつも祈っております。

                         再拝  」

 どれほどこの手紙になぐさめられたかわかりません。
ひでちゃんがかずこ先生に伝えた言葉が、私の今の生きる原動力になっています。
竹内芳実 様
      宇治 長田忍

合掌ありがとうございます
 小竹君が亡くなりましたね。
 清水さんが告別式に参列しました。
 私も聞いてビックリしました。

 愛する人を亡くする、なんと悲しく、なんと辛く、
  人生なんと切ないことでしょう。
 すぐに悲しみをやめることなど到底できないでしょう。
  悲しい時は泣くと良いですね。
   声を出して思いっきり泣けたらいいんだけど。

 今のあなたには受け入れがたい事実でしょう。
 でも、あなたがこの人生に生まれ、彼と出会い、恋愛できた。
 崩れ去ってしまう肉体を超えて、
  永遠に追慕(アイ)することができると覚(シ)ったら、
   あなたの人生に美しい愛の一ページを飾ることができたことに、
    必ず感謝し悦ぶときが来ますよ。

 人生は愛することと知る時、
  必ずしも愛の対象が見えるもの、
   五感に触れる存在だけである必要はないのです。
 むしろ、見えないものに変わらない永遠価値を発見し、
  魂的な法悦(ヨロコビ)を得ることができます。

 愛することに終着駅や行き止まりはなく、
  その人を想うごと、供養するごと、
   愛の一ページがまた加わっていくのです。

 小竹君の肉体はもうこの地上にはありませんが、
  彼の生命(イノチ)は肉体や病という束縛を離れ、
   今天空を駆け巡って、自由自在なのです。

 彼はあなたに天地宇宙の創造の遥か前から
  時間や空間の始まる前から
   存在する神と呼ばれる偉大なものに
    気付きかせてくれる天の使いなのです。

2007/3/5
 
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