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ひでちゃんのこと。
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『白鳩』5月号30〜31ページ

出会いを聞かせて

[タイトル]
いのちは生き通しであると教えてくれた彼

飯田芳実

第5回

[本文]
 初めて心から好きになった人を病で失った私は、なぜ彼と出会ったのだろう、なぜこんなに早く逝ってしまったのだろうと、毎日呆然としながら泣いていました。生長の家で、あれほど「いのちは永遠生き通し」と教えられていても、喪失感はどうすることもできませんでした。
 せめて記憶だけでも大事に留めておきたいと思い、彼と出会った日のことから詳細にノートに綴っていました。泣きながら一気に書いたノートは十数ページにわたりました。
 そこには宇治別格本山で生き生きと輝いていた彼の姿がありました。ふと「彼は、幸せだったんだ」という思いが心に浮かんできました。亡くなるわずか一年前に、宇治で「人間・神の子」の真理に出合い、家族に心から感謝し、たとえ短くとも私と愛を育む時間を過ごすことができた彼は、幸せだったと初めて思えたのです。まるで彼がそばにいて、私に語りかけてくれているように感じました。
 私はこの文章を彼のご両親に送りました。宇治での彼を知らないご両親に、生き生きとした彼の姿を伝えたかったのです。息子の三年間の闘病を支え、二十六歳の若さで失ったご両親の悲しみは、私とは比べものにならなかったと思います。ご両親は「息子は幸せだったと分かって本当に嬉しい」と手紙に書いてくださいました。この思い出や悲しみを彼のご両親と共有することで、私も少しずつ心が落ち着いていきました。しかし、彼への思いがあまりにも強く、「結婚なんてしなくても構わない。ずっと彼を想って生きていこう」と思っていました。
 彼が亡くなって一年後、私は東京・原宿にある生長の家本部に勤めることになりました。彼を失った悲しみから完全には立ち直っていなかったものの、新しい仕事や生活に慣れるのに必死で、悲しみに溺れることは少なくなっていきました。そして彼の故郷でもある東京で暮らすうちに、彼の死を通して自分が体験したことを客観的に見つめられるようになっていきました。彼は私に、純粋に愛することや感謝することの大切さ、いのちは生き通しであることを身をもって教えてくれたんだと、感謝の気持ちが湧いてきたのです。
 この体験を何かの形で表現したいと思った私は、思い切ってブログを開設することにしました。彼との思い出や亡くなった時のこと、その後の私の正直な思いや彼のご両親との手紙のやり取りなどを綴っていったのです。不思議なほどすらすらと書けて、彼も一緒に書いてくれていると確信しました。
 ブログの公開は勇気のいることでしたが、思わぬ反響がありました。それは、私と同じように大切な人を失った人たちからでした。未だ悲しみを抱え、表現できず堪えていた何人もの方が、私のブログを読むことで、悲しみを初めて共有することができた、心が癒やされたと言ってくださったのです。
 私自身もブログを書くことで、この体験の意味がわかり、心が癒やされました。さらに彼への執着も手放すことができ、温かく見守ってくれる兄のような存在に感じられるようになりました。私の心境が変化すると環境にも変化が起きました。新たな出会いが、お膳立てされたようにやってきたのです。(つづく)
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