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ひでちゃんのこと。
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ひでちゃんに最後に会ったのは病院でした。

急に連絡がとれなくなったと思ったら、病状が悪化し入院したということでした。
私はどうしても会いたくて入院先の病院へお見舞いに行きました。
東京には友人が住んでいたので泊めてもらうことにして。

ひでちゃんは思ったより元気な様子でした。
ただ薬の副作用で顔が腫れ、一瞬だれか分かりませんでした。
すぐにひでちゃんだと認識できなかった自分が情けなくなりました。

本当はこんな姿では会いたくなかったんだろうな・・

でもひでちゃんは相変わらず優しく、愛おしそうに私を見つめ、髪を撫でました。
その日はあまりしゃべりませんでした。
ただずっと手をつないでいるだけでした。

病院の屋上は自由に上がれて、ベンチに座ってゆっくりできるようになっていました。
病院の屋上からはディズニーランドが見えました。

まだ一緒に行ったことがなかったので私は

「退院したらディズニーランド行こう」

と言いました。

ひでちゃんは

「うん、退院したらね」

と言いました。

ひでちゃんのベッドからは海が見えてとても病院とは思えませんでした。

あっという間に面会時間が過ぎてしまい、私は友人の家に戻らなければなりませんでした。
病院の出口まで送ってくれたひでちゃんが突然に今までにないくらい強く私を抱き締めました。
私はものすごく切なくなり、嫌な予感がしました。


私を泊めてくれた友人はようこちゃんといって、お花屋さんで働いていました。
ようこちゃんはその日仕事だったので私はもう愛知に帰るつもりでした。

そうしたらようこちゃんが

「もう一度病院行ってきたら?」

と言いました。

「お見舞いにはお花を持っていかないと」

私はそういえばひでちゃんに何のお見舞いの品を持っていかなったことに気づいて

「じゃあようこちゃんのとこでお花買って行く」

ともう一度病院へ行くことにしました。

ようこちゃんが見立ててくれたお花のアレンジメントを持って私は再び病院へ行きました。



その花はずっと彼の傍らにあったようでした。

彼のお母さんがちゃんとドライフラワーにして入院中の彼に渡してくれたそうです。

一度退院し、すぐまた再入院したときも持って行ってくれたそうです。

彼は私と最後に会った約4ヶ月後に亡くなりました。

あのお見舞いが最期でした。

私はずいぶんと後悔しました。

なんでもっと頻繁にお見舞いに行かなかったのだろうと。

お葬式の日、彼の顔のとなりにあのお花がありました。

その時私は彼がどれほど私を愛してくれていたかが分かりました。

きっと私のかわりにこの花はずっと彼のそばにいてくれていたのでしょう。

彼も花を見るたび私を想ってくれていたのでしょう。

私は花の力というものを初めて知りました。

なんて儚いのに強いのだろうと思いました。

そしてあの時ようこちゃんがもう一度私に花を持って病院へ行くようにすすめてくれたのは

本当に神様の導きだったと思うのでした。
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彼が亡くなって四十九日が過ぎたころ、彼の家に行きました。
 
告別式ではゆっくりとご家族と話もできなかったので、行ってもいいですか?と頼んでみたら快く迎えてくださった。
 
快晴で、やわらかな風が吹き、なんとも気持ちのいい5月の日。
 
バス停で彼のお母さんが笑顔で迎えてくださり
家には妹さんとお父さんが私が来るというのでわざわざ予定を空けて待っていてくれていた。
 
ようこちゃんから買った白い花束を手渡したら、すぐにきれいに生けてくれて彼の写真の前に飾られた。
 
初めて来た、言ってみれば他人の家なのにどういうわけか前から知っているような気がした。
彼の気配が残っているからだろうか。
 
足を踏み入れたとたんに涙があふれた。
 
彼の写真の前には大きなシャクヤクとユリの花も生けられていた。
 
彼のお母さんが、
「このシャクヤク、まだ固いつぼみだったのに昨日から急に咲き出したんですよ。あなたが来るからひでちゃん急いで咲かせたんだね。」
と言った。
 
甘い紅茶とサンドイッチのもてなしを受け、
4人でずっと彼の話をした。
 
私は彼が世にもめずらしいほど、素直で純粋な人だと思っていたら、彼の家族みんながそういう人だということが分かった。
家族同士がお互いに、素直に愛の表現ができる人たちだった。
 
「うちはね、それが当たり前なんですよ。」
と彼のお父さんが言った。
 
確かに彼は恥ずかしくなるほど、愛情表現が豊かで自分の気持ちに素直だった。
こんな人っているんだなあと感心したものだ。
それはやっぱり彼の育った環境が、家族がすばらしいからなのだ。
 
でもあんな重い病に冒されて
この子は恋愛のひとつもせず、大好きだと思える人もいないまま死んでいくのかもしれないと思ったら
何のための人生なのかと感じていたそうだ。
 
ずっとバンドに夢中で、モテるのにほとんど女の子と付き合ったりもしなかった。
 
「だからねえ、ひでにとって初めてだったと思いますよ。
 こればかりは家族では与えられない喜びだから。
 本当に感謝しています。
 私もあなたの父親になりたかったけどね。」
 
また泣けてきた。
ユリの香りが急につよく匂った。
カーテンがはためいて私にまとわりついた。
 
 
 
私が彼に出会ったとき、すでに死を宣告されていた。
本人には言ってなかったそうだけど、たぶん彼はなんとなく分かっていたんじゃないかな、と思う。
脳腫瘍で、見た目は全く普通で元気だったから、彼は病人という感覚はなかった。
宇治という場所で出会っただけに、よほどのことで来たのだろうとは思っていたけど。
私は彼の元気な姿しか知らない。
 
「死」を受け入れるまでは時間がかかる。
何度「生き通しで、肉体は亡くなっても魂はずっと続いてる」
教えられていても、リアルに直面すると素直には納得できないものだ。
 
 今少しずつ、私も彼の家族も、彼のこの短い人生の意味を理解しようとしている。
みんなに教えてくれるために生まれてきた、
彼は本当に天使だったんだと思う。
 
私なんて彼の人生の最後の最後にほんの少し顔を出したにすぎないのだけれど、
彼のお父さん曰く、
「あなたとの出会いはひでにとって逆転満塁ホームランでしたよ」
と笑って言ってくれた。
 
私も普通に暮らしてたら出会えるはずのない人だった。
彼も病気になっていなかったら私には絶対に出会うことはなかっただろう。
皮肉だけれどギリギリセーフで出会って、想い合えて、今考えると奇跡的なタイミングとしか言いようがない。
そんな事を私が言ったら
 
「私たちはグループ・ソウルなんですよ。そう言うらしいですよ。
 あなたのことも他人のような気がしない。
 お互いいろんな形で生まれ変わって魂の学びをするんですよ。」
 
なんだか丸ごと受け入れてもらえたような気がした。
私はずっとここにいたいような気持ちになった。
 
最後に彼の声を録音したテープを聞かせてもらった。
入院中に毎日、ある詩を一つずつ録音していたそうだ。
久しぶりに彼の声を聞いた。
だんだん背中とか胸のあたりがあたたかくなるのを感じた。
今日はずっと一緒にここにいたんだよね。
 
このテープをダビングしてもらえないかと頼んだら快く了解してくださって、
じゃあMDに録音して送りますねと約束してくれた。
 
以前私が彼にあげたお守りのことが気になって
それもよかったらいただけますか?
それ、つけたいんです。
と頼んだ。
大事にしまわれていた、なつかしい品が私の手に戻ってきた。
 
気づくとずいぶん長い時間が経っていた。
なんとも穏やかで、幸せな時間だった。
本当に私は彼に、彼の家族に出会えて良かったと思った。
  
また、東京に来たときは来て下さいね。
宇治にも一緒に行きたいね。
 
あたたかい言葉に見送られて帰りのバスに乗った。
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