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ひでちゃんのこと。
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『白鳩』2月号30〜31ページ

出会いを聞かせて

[タイトル]
彼の笑顔と明るさに、心が開かれる

飯田芳実

第2回

[本文]
「僕は脳腫瘍なんです」
 新しい研修生の自己紹介で彼が発した言葉に、私は耳を疑いました。病気についてあまり知識がない私でも、重い病気であることはすぐに分かりました。
「こんなに若いのに、どうして……」と、言葉にならない思いが頭をかけめぐりました。
 彼はすでに何度も手術を受けているらしく、頭にある手術痕を隠すためにいつもニットの帽子をかぶっていました。しかし、それ以上に私が驚いたのは、彼の笑顔と明るさでした。
 ご両親の強い勧めがあって東京から宇治別格本山にやってきた彼は、練成会を受けて感動し、両親への感謝、今、生きていることへの感謝があふれてきて、本当は入院していた病院へ戻らなければいけないにもかかわらず、どうしても研修生として残りたいと自分から志願したということでした。
 私は「やりたいことが見つからない」という自分の悩みの小ささ、贅沢さを思い、恥ずかしくなりました。彼の強さに心から頭の下がる思いでした。
 彼は研修生活にすぐに溶け込み、みんなの人気者になりました。誰もが彼が病気であることなど忘れていました。毎朝早くから起きて、早朝行事に参加し、境内のきつい坂を走って上り、大きな声で「ありがとうございます!」と言う姿は、健康そのものだったからです。
 人見知りで自分からは人に声をかけることのない私にも、彼はいつもにっこりと微笑みかけてくれ、たわいのない会話をかわしていました。
 私は今まではそんなふうに男性と話をしても、決して楽しいと思うことはなかったのですが、不思議と彼と話すのは心から楽しいと感じ、少しずつ心を開いていきました。私は彼と一緒に研修生活を送れることが嬉しく、さらに毎日が充実したものに感じられるようになりました。
 宇治での生活のおかげで精神的に安定し、社会に出る自信もついてきて、「何でもいいから自分にできる仕事をしたい」と望むようになりました。今までのような「やりたいことを仕事にしたい」という欲は消え、「私にできる仕事があるなら何でもします。今の私が一番役に立てる職場を与えてください」と毎日の神想観でお祈りするようになっていました。研修生の立場ですから就職活動をすることはできませんが、毎日毎日祈るうちに、「すでにすばらしい職場が与えられた」という確信を得るようになりました。
 するとある日、地元の愛知県の教化部から「職員にならないか」というお話が突然やってきたのです。教化部で職員を募集していたらしく、高校生のころからお世話になっていた生長の家青年会の方が私のことを推薦して下さったからでした。
 思ってもみない展開にとても驚きましたが「ああ、これが祈りの答えなんだ」と納得し、このお話を受けさせていただくことにしました。宇治の先生方もとても喜んで下さり、私は三カ月の研修生活を終えることになりました。両親も私が実家に帰り、仕事を始めることを喜んでくれました。
 荷物をまとめ、愛知に帰る日、研修生の仲間がみな笑顔で祝福してくれました。しかしその中、ただ一人暗い顔がありました。それが彼でした。 (つづく)
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