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ひでちゃんのこと。
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『白鳩』6月号30〜31ページ

出会いを聞かせて

[タイトル]
新たな恋の始まり

飯田芳実

第6回

[本文]
 亡くなった彼との思い出や、その後の正直な思いをブログに綴って半年ほどたち、彼への想いを解放することができた私は、心が軽くなり、自分の生活を楽しめるようになりました。
 私が働いていた生長の家本部では、警備会社の方が夜間の施設警備にあたっています。私はその警備員さんたちの出退勤の管理を任されました。
 平成二十二年四月、新しい施設警備員の方が来ることになりました。その方が初出勤された時、あまりにも明るい笑顔に驚きました。挨拶の声もさわやかで、周りの空気が一気に明るくなるようでした。それは、亡くなった彼と初めて会った時と同じくらいの衝撃でした。生長の家のことは何も知らず、仕事のために派遣された警備員さんでしたが、昔から生長の家の信徒なのではないかと思うほどの明るさだったのです。
 私は一気にその人に惹きつけられてしまいました。
 その警備員さんは元自衛隊の三十五歳で、八歳も年上でしたが、不思議なほど波長が合い、よく仕事の合間に会話するようになりました。私は毎日夕方に出勤してくるその方を心待ちにするようになりました。
 ある日、その方が、
「何かこの生長の家の本でいいものはありますか?」
 と尋ねてきました。
 生長の家に興味を持ってくれたのだろうかと思い、どんな本がいいのか詳しく聞いてみると、
「実は最近、自衛隊で一緒だった同期の友人が癌で亡くなったんです。その友人の奥さんが非常に落ち込んでいるので、元気になれるような本があれば送ってあげたいんです」
 と言ったのです。
 大切な友人だったようで、その時の表情はとても辛そうでした。私は自分も励まされた本をいくつか紹介し、自分の体験も少しお話しました。自分と似たような境遇の人の役に立ちたいとずっと思っていたので、「ぜひその奥様に紹介してあげてください」と以前書いた私のブログのこともお話しました。
 私の話に驚いたようでしたが、「ありがとうございます。すぐ奥さんに伝えます」と言ってくれました。
 その後、本を買って、すぐにその友人の奥様に送ってあげ、私の体験ブログのことも紹介したと言ってくれました。決して自分からは話すことのない体験を、話すきっかけを得たことに、私はとても驚きましたが、少しでも自分の体験が役に立てたことがとても嬉しかったです。
 私は毎日、その警備員さんのことばかり考えていることに気づきました。こんなことは前の彼が亡くなってからはなかったことでした。いつのまにか私は、その方のことが本当に好きになっていたのです。
 ある日道を歩いていると、ふと脳裏に、「もしかしたら亡くなった彼が、出会わせてくれたんじゃないか」という考えが浮かび、急速に確信へと変わっていきました。それは不思議なほどしっかりとした確信でした。
 でもその方の気持ちはどうなのか、私には分かりませんでした。どんな人にも明るく優しく接している人のなので、私もその中の一人なんだろうな……というのが本当のところでした。
 しかし、この想いを伝えたいという気持ちが抑えられなくなった私は、ある行動をとったのです。(つづく)
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『白鳩』7月号30〜31ページ

出会いを聞かせて

[タイトル]
あまりにも早い展開。
しかし迷いは全くなく結婚に

飯田芳実

第7回(最終回)

[本文]
 職場で出会った警備員の飯田尊博さんに想いを伝えたいという気持ちが大きくなった私は、思い切って手紙を書くことにしました。それは告白というよりも感謝の手紙でした。
 毎日元気に出勤して、すばらしい笑顔で接してくれたこと、亡くなった彼の話を静かに聞いてくれたこと、おかげでどれほど私の心が慰められ、毎日楽しくなったかなど、丁寧に書いていきました。
 年賀状を出したいからと聞き出した自宅の住所宛にその手紙を送りました。しかしその直後の職場で顔を合わせる勇気はなく、お正月だったこともあり、私は休暇をとって実家に帰省してしまいました。
 実家に帰省してすぐに飯田さんから電話がかかってきました。そして、自分も同じ気持ちだと言ってくれたのです。私は改めてこの出会いは亡くなった彼の導きだと思いました。そして私は、飯田さんとお付き合いすることになりましたが、まだ「結婚」ということは意識していませんでした。ただ、「いい時期がきたら自然とそういう話になるのかな」という程度でした。
 ところが、その「時期」は意外と早くやってきました。きっかけはつきあって三カ月がたったころに起きた東日本大震災でした。その日はたまたま二人とも休日で、一緒に出かけていたとき、突然あの地震が起きたのです。地面や目の前のビルが大きく揺れ、私がパニックで泣きそうになっているのを、飯田さんは冷静に対処してくれました。元自衛隊員というだけあって、それは見事なものでした。あの時ほど「守られている」と感じたことはありませんでした。
 当時私は九階にある部屋に住んでいて、度重なる余震の恐怖で自分の部屋で眠ることができなくなってしまいました。そんな私を見かねた飯田さんは「一緒に住んだほうがいい」と言ってくれました。そして話し合った結果「一緒に住むのなら結婚しよう」ということになったのです。あまりにも早い展開でしたが、私の中に迷いは全くありませんでした。
 突然の結婚話に両親はとても驚いていましたが、本当に喜んでくれました。そして私たちは平成二十三年十一月に、たくさんの方々に祝福されて、結婚式を挙げることができました。
 また、夫も生長の家に興味を持ってくれ、昨年四月には、二人で宇治別格本山の短期練成会を受けることができたのです。初めて宇治の練成会を受けてから約六年、このようなかたちで再び練成会を受けることができて、本当に嬉しく思いました。
 うつ状態になって宇治別格本山へ行ったのも、大事な人との死別も、すべて私に必要な「導き」だったのだと思えるようになりました。どんな悲しいことであっても、いつも守られていて、その先には光だけが待っていると感謝の心で受けとめられるようになったのです。
 二人での生活に最初は戸惑うこともありましたが、結婚して一年半がたち、なにがあっても一人ではないという安心感が生まれました。好きだった絵も今ではギャラリーで個展やグルー展を開いたり、『いのちの環』誌で連載も持てるようになり、夫も応援してくれています。
 これからもすべてに感謝しながら、幸せな家庭を築いていきたいと思います。
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