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「宇治での日々」はひでちゃんが亡くなってすぐに書いたものです。
今読むとものすごく恥ずかしいし、文章もめちゃくちゃ下手なんですが、
私の中のひでちゃんの記憶を一瞬たりとも忘れたくなくて、私の記憶のありのままを書きました。
一番ひでちゃんが輝いていた時だったのだと思います。
私にとっても今までの人生の中で一番充実して、濃い時間を過ごしていた時期でした。
この文章を彼のご両親に送ったら、こんな手紙をいただきました。
「すばらしい『思い出』をありがとうございました。私たちは秀和とのきびしい時間の思い出が強くて、不自由なからだでけんめいに生きた日々の様子ばかりが思い出されて、かなしくてたまらなかったのですが、こんなに元気で可愛くて聡明な女の子に出会って、輝くような日々を過ごしていたんだということがわかって、一つ一つ情景が見えるようにわかって、本当に嬉しいです。秀和の人生が幸せに満ちていたんだとわかって、本当に嬉しいです。芳実ちゃんからいただいた『思い出』は私たち夫婦、秀和の兄妹にとっても一番の宝物です」
私はこの手紙を読んで、何度も何度も泣きました。
私はひでちゃんの宇治で過ごした日々を、彼のご両親に伝える使命があったんだ、
ひでちゃんはこんなに笑顔で元気でしたよと伝えてほしかったんだと思いました。
宇治で3カ月研修生をしたひでちゃんは、東京にもどり、私たちは遠距離恋愛になりました。
ひでちゃんの体は、少しずつ死に向かっていました。
その過程はまだ思い出すのがつらくて書けずにいます。
思うように会えない寂しさと、彼が死ぬかもしれないという現実を突き付けられて、
本当にどうしていいのかわかりませんでした。