ひでちゃんのこと。
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2月28日はひでちゃんの命日。もう3年だ。
朝から東京は雨。でもひでちゃんの日だから晴れる、と思った。
京都行きの新幹線に乗る。激しかった雨が止んでいく。雲間から日が差してくる。
名古屋あたりで雲ひとつない晴天となる。
さすがー。
新幹線で私が座った席の隣はずっと空いていて、日曜日だというのに誰もこない。
今日はすいているんだな、と思ってトイレに行こうと立ち上がったら、私の隣の席以外はすべて埋まっていた。
ああ、ひでちゃんが隣に座っている。
今日は一緒に宇治へ行ってくれるんだね。
ありがとう。
京都はやや曇っていたものの、雨の気配はない。
朝、少しのんびりしすぎて宇治に着いたのは1時半。
祥月命日供養祭は2時からで、ぎりぎり間に合った。
大拝殿にいる人々の中に、ひでちゃんのお父さんとお母さんの姿を見つけた。
静かに駆け寄る。
こんにちは。となり、いいですか。
お二人のやわらかな笑顔にほっとする。
またこの日に会えたことに嬉しさがこみあげた。
供養祭が始まると、すぐに涙がぽたぽた流れた。
カバンの中のハンカチが見つからない。しかたなく手でぬぐう。
とめどなく流れる涙に、ひでちゃんを想う気持ちがまだこんなに強い自分を改めて発見する。
そして、涙を流せることを嬉しいと思う。
そして、涙を流せることを嬉しいと思う。
ひでちゃんの名前はすぐに読まれた。
また合掌しながらこみ上げる。想い出がめぐる。
聖経も声がつまってちゃんと読めなかった。
時折、宝蔵神社に光が差した。
供養祭が終ると、黒いスーツをきちんと着た清水さんがいた。
清水さんはひでちゃんと一緒に練成を受けて、同じ時に研修生になって、いつも一緒にいた。
清水さんは今、もう立派に宇治で職員をしている。
清水さんは今、もう立派に宇治で職員をしている。
ああ、また清らかになられたなあ。
東京ですっかり俗っぽい生活に慣れてしまった私にはまぶしく見えた。
ひでちゃんのお母さんが近況を話してくれた。
妹さんがひでちゃんの導きで宇治の練成を受けたこと。
そして横浜へお嫁にいったこと。
ひでちゃんが大好きだった犬のぷりんちゃんが昨年亡くなったこと。
そして4人でひととき、ひでちゃんとの思い出にひたった。
ひでちゃんのご両親はきのうから京都に泊まっているそうだ。
「久しぶりの新婚旅行」
と笑って言っていた。
清水さんと別れ、京都駅まで一緒に行くことにした。
電車の中で、ひでちゃんのお母さんが、ぷりんちゃんの最期のことを話してくれた。
私もぷりんちゃんには何度か会った。
ひでちゃんもよくぷりんちゃんのことを話していた。
じゃあ、今はひでちゃんと一緒にいますね。
ひでちゃんも向こうでさみしくないかもしれないな、と思った。
「よしみちゃんが描いていたあの“たそがれ”の絵ね」
突然、ひでちゃんのお母さんが言った。
「オレンジ色のカーテンを小さな人がこちらから少し開けて見せてくれているでしょう。
あれを見た時、この小さな人は、ひでちゃんだと思ったの」
ひでちゃんはオレンジ色が好きで、自分の部屋のカーテンをオレンジ色にしてほしいと、言っていたんだそうだ。
「こちら側にひでちゃんがいたから、ああ、ひでちゃんはこっちの世界と向こうの世界を自由に行き来できて、少しだけカーテンを開けて、私たちに向こうの世界を見せてくれているんだな、と思ったの」
ああ、そうだったんだ。
私が描いたのは、ひでちゃんの今の姿だったのか。
描いている時は分からなかった。
ただ、いつもと違う構図が浮かんだな、というだけだったけど、
ひでちゃんが教えてくれたのかもしれない。
京都駅についたら、ひでちゃんのご両親が
「そうそう、今日はよしみちゃんに伊勢丹で“タジン鍋”買ってあげるから!」
と言ってびっくりした。
少し前にブログ(ポスティングジョイ)で「タジン鍋が気になる」などとつぶやいていたのをしっかり見てくれていたらしい。
「最近うちでも使ってるのよ!」
嬉しすぎて涙が出そうになった。
でもいいのかな、こんなにしてもらって・・と少し恐縮していたら、
「もう、ひでちゃんにはしたくても何もしてあげられないからね、せめてよしみちゃんにはね」
箱に入ってきれいにリボンがかけられたタジン鍋。
あ、ひでちゃんからのプレゼントでもあるんだ、と思った。
私たちは誕生日とかクリスマスとかバレンタインとか、そういう恋人らしいイベントができなかったから、
今そういうのしてくれているのかな、と思った。
今そういうのしてくれているのかな、と思った。
ありがとう、ひでちゃん。
タジン鍋を買っていただいたあと、ごはんもごちそうになった。
「よしみちゃんはたくさん食べるんでしょう(笑)
ひでが宇治から一時帰宅した時“たくさん食べる子が好き”って言っていたのはよしみちゃんのことだったんだねえ」
笑って思い出を話しながら、私は宇治にいたころのようにたくさん食べた。
お二人は京都にもう一泊するということだったので、新幹線の改札まで見送ってくれた。
別れ際にひでちゃんのお母さんが言った。
「また5月には家においでね」
私はもう毎年のように、5月にひでちゃんの家を訪ねるようになっていた。
ひでちゃんが亡くなってから毎年。
正直、今年はどうしようかと思っていた。
もう、いいかげん迷惑なんじゃないだろうか、亡くなった息子の彼女が毎年のように家にくるなんて・・と。はたから見たら未練だらけの女なんじゃないか。
私の中でこの3年という月日は長かったのか短かったのか、よく分からない。
ただ、今もひでちゃんへの想いが強くあり、それを大事にしたいという気持ちで過ごしてきた。
それがいいことなのか、ただの執着なのかは分からない。
それがいいことなのか、ただの執着なのかは分からない。
世間は新しい恋をしろと、うるさい。
この先どうするつもりなの?と。
このまま結婚もせずに亡くなった恋人を想い続けて年をとるの?と。
先のことは分からない。
分からないけど、社交辞令ではなかった「また5月においで」という言葉に今年も甘えてみようと思う。
きっと私には、肉体のないひでちゃんと一緒に過ごす時間がまだ必要だ。
ひでちゃんのお父さん、お母さん、心から感謝しています。
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