ひでちゃんのこと。
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私が上京したのは平成20年の4月、ひでちゃんが亡くなって一年が過ぎたころでした。
きっかけは当時働いていた愛知県教化部で、東京にある本部で職員を募集しているらしいというのをちらりと聞いたことでした。
なぜかその時猛烈に
「行きたい」
と思ってしまったのです。
優柔不断な私が、数ヵ月後には東京にいました。
なぜあんなに猛烈に「今行かなければ」と思ったのか。
なぜ今さらひでちゃんのいない東京へ行くのか。
正直に言えば、生長の家のお役に立ちたいだとか、教えを広めたいだとか、そんな志はかけらもなかったのです。
ただ「今東京に行かなければいけない」という直感だけだったように思います。
東京に来て驚いたのは、私の生活圏内にひでちゃんとの思い出の場所がやたらとあるということでした。
寮のすぐ近くに
一緒に入った映画館
一緒にプリクラを撮ったゲームセンター
一緒にごはんを食べた店。
あの時はひでちゃんと迷いながら歩いていた道が、今ではしょっちゅう歩く道です。
職場のある原宿もそうです。
一緒に歩いた明治神宮の参道、竹下通り。
今でもありありと思い出せるのです。
これはどういうことなんだろうと上京した当初は戸惑いました。
なぜわざわざ思い出だらけの場所に来てしまったんだろうと思いました。
でも今思うのは、東京にいてひでちゃんとの思い出を追うことは、私にとってつらいことではなく、むしろ幸せなことだということです。ひでちゃんが「忘れる必要ないよ」と言ってくれてる気がするのです。今も一緒にいるんだと実感できるのです。
人から見たら不幸に感じるかもしれません。でも私は自分を不幸だと思ったことはありません。誰かが「さびしいけれど悲しくはない」と言うのを聞きましたが、本当にそうだなと思います。
悲しくはありません。
ただ、肉体として存在していないのを時折さびしいと思うだけです。
声を聞きたい
姿を見たい
もう一度触れたい
そう思うとさびしいです。
なかなかこの感情をぬぐうことはできません。
でも彼は何度も存在を示してくれたし、
大きな愛情を注いでくれたし
私は彼に愛されたことを最高に誇りに思っています。
私は誰よりも幸せ者だと思います。
表面の心はすぐに波風たちますが
確かに私は幸せです。
東京に来て、じっくり彼との思い出に浸って、そう思うようになりました。
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