ひでちゃんのこと。
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ひでちゃんというのは、私の恋人です。
ひでちゃんは2007年2月28日に26歳で天国へ逝きました。
私とひでちゃんは2006年の3月に京都にある生長の家宇治別格本山という場所で出会いました。私は軽度のうつ病、ひでちゃんは脳腫瘍という病気を抱えていました。
お互い何か確かなものを求めて、これが最後の手段という気持ちで宇治へやってきました。
そこで私たちはすばらしい体験をたくさんしました。
ひでちゃんと過ごしたのはたった一年。その短い時間の中で、私たちは出会い、恋をし、ひでちゃんは何かをやり遂げてあっという間に私の前から去ってしまいました。
私は彼の死を前にして、しばらくの間呆然としていました。そのうちに大きな悲しみと寂しさと共にしなければなりませんでした。この喪失感をやわらげるには、たくさんの涙を流して、時間をかけて少しずつ向き合っていくしかありませんでした。
その中で私に確かなものが残りました。彼の命は死んでいないということ、今も変わらず私や家族や友人を愛して見守ってくれているということ、体があろうがなかろうが私は彼を心から愛しているということ。喪失感とは別の場所で、確信できたことでした。
このブログをまとめようと思ったのは、彼の死を通して体験したことを、ちゃんと伝えていかなくちゃいけないんじゃないかと感じたからです。私は彼の人生のほとんどを知りませんが、彼の最後の一年を、恋人として過ごしたことは、とても大きな意味があると思うからです。
この体験が誰かの役に立ってくれたらと思っています。
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最初にひでちゃんを見たのは、2006年3月の宇治の短期の練成会のときだった。
アディダスのニット帽をかぶっていて、食堂で誰かとごはん食べてた。
遠くから見ただけなのになぜだかすごく覚えてる。
その次はひでちゃんが一般練成に来た時。
私が研修生になって初めて受付で案内係やってて、なんかもう夜だったからあんまり人来なくてぼけっとしてたら、ひでちゃんが来た。
ありがとうございまーす。
あれーこの人こないだも来てたよなあ、若いなあ、都会の人ってかんじだなあ、ひとりで来たんだあ。
あ、靴でかい。ひとつの袋で入るかな。
入りますか?2つ袋いりますか?って聞いたら じゃあ2つってひでちゃんは冗談で言ったのに
私がふつうに2枚渡したら、すごい笑われた。いやー1枚で大丈夫です(笑)
あーまたボケてしまった・・
それにしてもこの人どんな事情で来たのかな。悩みなんてなさそうなのになあ、かっこいいし。
ひでちゃんが練成中の時のことはあまり覚えてない。
ただ座談会の時に「ぼくは脳腫瘍で・・」と聞いたときは心臓がしゅって縮む感じがした。
こんなに若いのに、なかなかかっこいいのに。気の毒だな、早く治るといいなあと思った。
その10日間の練成のあと、ひでちゃんは伝道にも出ていてすごくびっくりした。
ふつうは、若い人なんて特に一般練成だけで帰っちゃうのに。
私は伝道練成2日目の日に一時帰宅で帰ろうとしていた。
朝、末一での聖経読誦にだけ加わった。
そのときタスキをかけたひでちゃんが見えた。
私は初めての一時帰宅だった。
まだお母さんとギクシャクしてたけど、前よりは良かった。
ただまだ宇治に居なくちゃと思った。
自分の道がはっきりするまで帰らないと決めた。
3、4日後に宇治に戻った。
新しく清水さんが2回目の研修生として加わっていた。
3月のおわり、お昼の幽斎殿に行ったら清水さんと一緒にひでちゃんがいた。
明るい日差しの中でひでちゃんは私にたっぷりの笑顔で
「ありがとうございます!今日から研修生やるのでよろしくお願いします!」
ってあいさつしてくれた。
私は驚いて、あ、どうも よろしく。がんばってください。くらいのことしか言えなかった。
研修生やるのかあ、すごいなこの人。よく決めたなあ、宇治っぽくないのに。
なんとも私には都会的な印象だったので(東京の人!って感じがした)
今までこういうタイプの人と知り合う事もなかったから新鮮だった。
このときからなんだか好意的だなあと思った。
その日は合祀祭だった。私も初の研修行事が合祀祭だったなあと思い出してた。
ひでちゃんはなにするの?って聞いてたから、ただ霊牌をたっくさんよむんだよーて言った。
初めてだと戸惑うよな。
ひでちゃんは法衣の着かたが分からなくて教えてあげたような気がする。
私が一人で座ってたらとなりにひでちゃんが来た。
正座が大変だったね。
アディダスのニット帽をかぶっていて、食堂で誰かとごはん食べてた。
遠くから見ただけなのになぜだかすごく覚えてる。
その次はひでちゃんが一般練成に来た時。
私が研修生になって初めて受付で案内係やってて、なんかもう夜だったからあんまり人来なくてぼけっとしてたら、ひでちゃんが来た。
ありがとうございまーす。
あれーこの人こないだも来てたよなあ、若いなあ、都会の人ってかんじだなあ、ひとりで来たんだあ。
あ、靴でかい。ひとつの袋で入るかな。
入りますか?2つ袋いりますか?って聞いたら じゃあ2つってひでちゃんは冗談で言ったのに
私がふつうに2枚渡したら、すごい笑われた。いやー1枚で大丈夫です(笑)
あーまたボケてしまった・・
それにしてもこの人どんな事情で来たのかな。悩みなんてなさそうなのになあ、かっこいいし。
ひでちゃんが練成中の時のことはあまり覚えてない。
ただ座談会の時に「ぼくは脳腫瘍で・・」と聞いたときは心臓がしゅって縮む感じがした。
こんなに若いのに、なかなかかっこいいのに。気の毒だな、早く治るといいなあと思った。
その10日間の練成のあと、ひでちゃんは伝道にも出ていてすごくびっくりした。
ふつうは、若い人なんて特に一般練成だけで帰っちゃうのに。
私は伝道練成2日目の日に一時帰宅で帰ろうとしていた。
朝、末一での聖経読誦にだけ加わった。
そのときタスキをかけたひでちゃんが見えた。
私は初めての一時帰宅だった。
まだお母さんとギクシャクしてたけど、前よりは良かった。
ただまだ宇治に居なくちゃと思った。
自分の道がはっきりするまで帰らないと決めた。
3、4日後に宇治に戻った。
新しく清水さんが2回目の研修生として加わっていた。
3月のおわり、お昼の幽斎殿に行ったら清水さんと一緒にひでちゃんがいた。
明るい日差しの中でひでちゃんは私にたっぷりの笑顔で
「ありがとうございます!今日から研修生やるのでよろしくお願いします!」
ってあいさつしてくれた。
私は驚いて、あ、どうも よろしく。がんばってください。くらいのことしか言えなかった。
研修生やるのかあ、すごいなこの人。よく決めたなあ、宇治っぽくないのに。
なんとも私には都会的な印象だったので(東京の人!って感じがした)
今までこういうタイプの人と知り合う事もなかったから新鮮だった。
このときからなんだか好意的だなあと思った。
その日は合祀祭だった。私も初の研修行事が合祀祭だったなあと思い出してた。
ひでちゃんはなにするの?って聞いてたから、ただ霊牌をたっくさんよむんだよーて言った。
初めてだと戸惑うよな。
ひでちゃんは法衣の着かたが分からなくて教えてあげたような気がする。
私が一人で座ってたらとなりにひでちゃんが来た。
正座が大変だったね。
4月になって最初はメール便の発送の仕事。
何人か新しい研修生が加わって、机がぎゅうぎゅうだった。
やっぱりひでちゃんは私のとなりに座った。
私はちょっと恥ずかしかった。
机がせますぎだ。
ぺらの紙をくるくる回して取りやすくしてたら
なにそれ、どうやんの?聞いてまねした。
ゆび、黒くなるよって言ったら、あ、ほんとだって言った。
研修中にあったことは順番には覚えてない。
ただ私は毎日行をすることに必死で、これからどうなるのかどうしたいのか、
ずっと考えて祈る毎日だった。
恋愛するなんて発想はなかった。
宇治でぜんぶリセットしよう。
4月はずっとそんな気持ちでいた。
宇治にいると、彼は病気だからとかそんな風には全然思わなかったし、感じなかった。
もうふつうに当たり前に接していた。
あの時研修生はみんなほとんど精神的に病んでるか苦しんでいる人ばかりだったから、
むしろ彼は一番輝いていて、楽しそうだった。
私は少しうらやましかった。
ごはんのときは必ずと言っていいほどひでちゃんは私のとなりか、向かいの席に座った。
ひでちゃんが座るとほかの研修生もすぐにまわりに集まってきた。
よく妹のことをめちゃくちゃかわいいと褒めちぎっていた。
私はまた驚いた。
家族をこんなに素直に褒める人いるんだ。
私、できないな。
それができなくてここにいるのに。
彼はそういうのもう全部できてるんだ。いいなあ。
清水さんが、そういう風に言える人あんまりいないよねって言った。
うんいない。初めて見た。私はけなしてばかりいる。
私お母さんキライだし、妹もキライ、とは言えなかった。
* * *
宇治に桜が咲き始めていた。
すごくきれいで毎日がお花見だった。
幽斎殿に行くのが楽しみだった。
私はカウンターを買って毎日「ありがとうございます」唱行していた。
常になにかしてないと不安だった。
だからけっこう一人で行動していた。
幽斎殿に行くときは唱行がたくさんできる時間だった。
でもよくひでちゃんは私を見つけるとあの坂を走ってきた。
そしてすごくうれしそうに私に話しかけてきた。
それによく大拝殿の靴箱のところで遭遇した。
あまりに素直にうれしそうな顔をするもんだから私の方は逆に恥ずかしくなった。
そんなに私に会えてうれしいの?
でもなんか楽しかった。
ある日幽斎殿の神想観が20分で終わってしまって
次の聖経の時間までみんなであのしだれ桜を見ていた。
濃いピンクですごくきれいで、大好きだった。
私は桜の垂れ下がってる枝の内側に入ってみた。
やっぱりものすごくきれいだった。
幽斎殿の建物とぴったり合っていた。
気づくとひでちゃんに思いっきり見られてた。
そしてなんかしみじみと
「さくらが似合いますねえ」
と言った。
桜が似合うって初めて言われたなあ。
桜って感じじゃないと思うんだけどな私。
ひでちゃんはずっと見てた。
ひでちゃんは浄心行のとき必ず号泣していた。
何度やっても、研修生として誘導係をしていても必ず泣いた。
やっぱり私はひでちゃんがうらやましかった。
なんでそんなに泣けんの?
泣けないの?
うんぜんぜん。
どうして?俺すぐこみあげてきちゃうよ。
私やっぱり感謝できてないんだあ
いいなあ。
何人か新しい研修生が加わって、机がぎゅうぎゅうだった。
やっぱりひでちゃんは私のとなりに座った。
私はちょっと恥ずかしかった。
机がせますぎだ。
ぺらの紙をくるくる回して取りやすくしてたら
なにそれ、どうやんの?聞いてまねした。
ゆび、黒くなるよって言ったら、あ、ほんとだって言った。
研修中にあったことは順番には覚えてない。
ただ私は毎日行をすることに必死で、これからどうなるのかどうしたいのか、
ずっと考えて祈る毎日だった。
恋愛するなんて発想はなかった。
宇治でぜんぶリセットしよう。
4月はずっとそんな気持ちでいた。
宇治にいると、彼は病気だからとかそんな風には全然思わなかったし、感じなかった。
もうふつうに当たり前に接していた。
あの時研修生はみんなほとんど精神的に病んでるか苦しんでいる人ばかりだったから、
むしろ彼は一番輝いていて、楽しそうだった。
私は少しうらやましかった。
ごはんのときは必ずと言っていいほどひでちゃんは私のとなりか、向かいの席に座った。
ひでちゃんが座るとほかの研修生もすぐにまわりに集まってきた。
よく妹のことをめちゃくちゃかわいいと褒めちぎっていた。
私はまた驚いた。
家族をこんなに素直に褒める人いるんだ。
私、できないな。
それができなくてここにいるのに。
彼はそういうのもう全部できてるんだ。いいなあ。
清水さんが、そういう風に言える人あんまりいないよねって言った。
うんいない。初めて見た。私はけなしてばかりいる。
私お母さんキライだし、妹もキライ、とは言えなかった。
* * *
宇治に桜が咲き始めていた。
すごくきれいで毎日がお花見だった。
幽斎殿に行くのが楽しみだった。
私はカウンターを買って毎日「ありがとうございます」唱行していた。
常になにかしてないと不安だった。
だからけっこう一人で行動していた。
幽斎殿に行くときは唱行がたくさんできる時間だった。
でもよくひでちゃんは私を見つけるとあの坂を走ってきた。
そしてすごくうれしそうに私に話しかけてきた。
それによく大拝殿の靴箱のところで遭遇した。
あまりに素直にうれしそうな顔をするもんだから私の方は逆に恥ずかしくなった。
そんなに私に会えてうれしいの?
でもなんか楽しかった。
ある日幽斎殿の神想観が20分で終わってしまって
次の聖経の時間までみんなであのしだれ桜を見ていた。
濃いピンクですごくきれいで、大好きだった。
私は桜の垂れ下がってる枝の内側に入ってみた。
やっぱりものすごくきれいだった。
幽斎殿の建物とぴったり合っていた。
気づくとひでちゃんに思いっきり見られてた。
そしてなんかしみじみと
「さくらが似合いますねえ」
と言った。
桜が似合うって初めて言われたなあ。
桜って感じじゃないと思うんだけどな私。
ひでちゃんはずっと見てた。
ひでちゃんは浄心行のとき必ず号泣していた。
何度やっても、研修生として誘導係をしていても必ず泣いた。
やっぱり私はひでちゃんがうらやましかった。
なんでそんなに泣けんの?
泣けないの?
うんぜんぜん。
どうして?俺すぐこみあげてきちゃうよ。
私やっぱり感謝できてないんだあ
いいなあ。
春の献労のメインは筍掘り。
みんなでシャベルやら、つるはしやら抱えて竹林に入って筍を探す。
見つけると喜々として掘り出していく。
つるはしを振りかざすひでちゃんの姿はなんだか似合わなかった。
それでも一所懸命、楽しそうに掘ってた。
私は研修生になって3か月目になる頃、
そろそろちゃんと進路を決めたいと思った。
いつまでも親にお金を借りてばかりもいられない。
でも家には帰りたくないし、
ここに奉職するのもなんか違うし・・と悩んで
やっぱり京都で働こう!と思った。
京都なら私が憧れてた染織の仕事があるかもしれない。
実は宇治に行く前に地元の青年会の人から教化部の職員を募集してるって話を聞いてたから
1か月前メールで、教化部ってまだ募集してますか?って聞いたけど
ずっと返事がなくて、きっとこれはだめだと思って
もう京都にいればいいやって思っていた。
それからいろいろ求人雑誌見たりして真剣に探すんだけど、あんまりピンとこない。
宇治市内で就職した人もいるから私もそうしようかな・・
とかいろいろ考えて探してみたけど合いそうな仕事がなかった。
いちど阿部先生に、
「京都で働きたいです。」
って言ったら
「ここ(宇治)は?」
って言われたけど、なんかちがうような気がしたので
「いや、なんか京都で染織関係とかそんな仕事がしたいです。」
って言ったらやっぱり先生は
「祈りましょう。」
と言った。
ああそうだ、もっと神想観しなくちゃと思って
その頃から早朝行事の前、朝4時半からの幽斎殿の神想観に通い出した。
決心すると不思議と毎日4時には目が覚めた。
早朝の幽斎殿は最高に気持ちが良かった。
清水さんも毎朝必ずその神想観には出ていた。
その話をひでちゃんにしたら
「じゃあおれもやる」
って言い出した。
でも神想観より末一稲荷神社で聖経読誦するほうがいいなって言って、
ひでちゃんは早朝行事前に末一で聖経を読誦するようになった。
毎朝ちょうど神想観を終えた清水さんと私が末一の前を通ると
聖経読み終わったひでちゃんが降りてきたので、
あのときは3人でよく朝、大拝殿まで一緒に歩いた。
ある日宇治のハローワークに行ってみようと
自主研の日に行ってみた。もう4月のおわり。
いろんな仕事があった。
染織関係もよさそうなのが4、5件あったから
面接してもらえるか問い合わせてもらった。
でもことごとくだめ。
というかみんな連絡つかずにどれも面接してもらえるところまでいかなかった。
けっこうがっくりして本山に戻った。
京都らしい仕事だったのになあ。
その日の夜、私に電話がかかってきた。河合さんだった。
「すぐ愛知に帰ってきて。教化部に決まったから。」
目が点になった。え?なんで?どゆこと?
なんだか私の知らないうちに話が進んで決まってしまったらしかった。
まるで心の準備ができていない。
「とにかく5月の全国大会に来て」
ということになったのでばたばたと宇治から行く事になった。
次の日、長田先生に報告しに行った。
長田先生も目が点になって
「え?」
と言った。
「そうですかあ。」
と言った。
この時 あ、私愛知に帰るんだ。またあの家で暮らすんだ。
と気づいた。
練成部から出たら、ひでちゃんがいた。
たぶん神想観のテストを受けるために待っていたんだと思う。
「私、愛知の教化部で働くことになったんだ。」
って言ったらひでちゃんはびっくりして、急にさみしそうな顔になってしまって
「そうなんだ。おめでとう。」
と言った。
私は自分のことで頭がいっぱいだった。
みんなでシャベルやら、つるはしやら抱えて竹林に入って筍を探す。
見つけると喜々として掘り出していく。
つるはしを振りかざすひでちゃんの姿はなんだか似合わなかった。
それでも一所懸命、楽しそうに掘ってた。
私は研修生になって3か月目になる頃、
そろそろちゃんと進路を決めたいと思った。
いつまでも親にお金を借りてばかりもいられない。
でも家には帰りたくないし、
ここに奉職するのもなんか違うし・・と悩んで
やっぱり京都で働こう!と思った。
京都なら私が憧れてた染織の仕事があるかもしれない。
実は宇治に行く前に地元の青年会の人から教化部の職員を募集してるって話を聞いてたから
1か月前メールで、教化部ってまだ募集してますか?って聞いたけど
ずっと返事がなくて、きっとこれはだめだと思って
もう京都にいればいいやって思っていた。
それからいろいろ求人雑誌見たりして真剣に探すんだけど、あんまりピンとこない。
宇治市内で就職した人もいるから私もそうしようかな・・
とかいろいろ考えて探してみたけど合いそうな仕事がなかった。
いちど阿部先生に、
「京都で働きたいです。」
って言ったら
「ここ(宇治)は?」
って言われたけど、なんかちがうような気がしたので
「いや、なんか京都で染織関係とかそんな仕事がしたいです。」
って言ったらやっぱり先生は
「祈りましょう。」
と言った。
ああそうだ、もっと神想観しなくちゃと思って
その頃から早朝行事の前、朝4時半からの幽斎殿の神想観に通い出した。
決心すると不思議と毎日4時には目が覚めた。
早朝の幽斎殿は最高に気持ちが良かった。
清水さんも毎朝必ずその神想観には出ていた。
その話をひでちゃんにしたら
「じゃあおれもやる」
って言い出した。
でも神想観より末一稲荷神社で聖経読誦するほうがいいなって言って、
ひでちゃんは早朝行事前に末一で聖経を読誦するようになった。
毎朝ちょうど神想観を終えた清水さんと私が末一の前を通ると
聖経読み終わったひでちゃんが降りてきたので、
あのときは3人でよく朝、大拝殿まで一緒に歩いた。
ある日宇治のハローワークに行ってみようと
自主研の日に行ってみた。もう4月のおわり。
いろんな仕事があった。
染織関係もよさそうなのが4、5件あったから
面接してもらえるか問い合わせてもらった。
でもことごとくだめ。
というかみんな連絡つかずにどれも面接してもらえるところまでいかなかった。
けっこうがっくりして本山に戻った。
京都らしい仕事だったのになあ。
その日の夜、私に電話がかかってきた。河合さんだった。
「すぐ愛知に帰ってきて。教化部に決まったから。」
目が点になった。え?なんで?どゆこと?
なんだか私の知らないうちに話が進んで決まってしまったらしかった。
まるで心の準備ができていない。
「とにかく5月の全国大会に来て」
ということになったのでばたばたと宇治から行く事になった。
次の日、長田先生に報告しに行った。
長田先生も目が点になって
「え?」
と言った。
「そうですかあ。」
と言った。
この時 あ、私愛知に帰るんだ。またあの家で暮らすんだ。
と気づいた。
練成部から出たら、ひでちゃんがいた。
たぶん神想観のテストを受けるために待っていたんだと思う。
「私、愛知の教化部で働くことになったんだ。」
って言ったらひでちゃんはびっくりして、急にさみしそうな顔になってしまって
「そうなんだ。おめでとう。」
と言った。
私は自分のことで頭がいっぱいだった。
私の最後の自主研の前日、ひでちゃんが
「明日どっかメシ食いにいかない?」
と言った。
断る理由もないので
「いいよ」
って言ったら、すごくうれしそうだった。
「明日が最後の自主研でしょ。いちど一緒にどっか行きたかったんだよ」
なんだか、照れた。
最後の自主研の日は曇っていた。
私が受付に行こうとしたら
ひでちゃんに廊下でばったり会った。
大拝殿の下の休憩室で待ち合わせることになっていたけど
すぐ会えた。
二人で本山を出てすぐにひでちゃんはしゃべりはじめた。
「おれこんな風に女の子誘ったの初めてなんだよ」
いきなりなんなんだー
かっこいいカオしてるんだし、いくらでもモテるだろうに。
彼女くらい何人かいただろう。
そんなようなことを私が言ったら
「もう10年いないよ」
へええ~ 意外だね。
「でもモテるでしょう?」
って聞いたら10年の間に12人もの女の子に告白されたそうな。
「そんでも付き合おうとはしなかったわけ」
「うん。なんかあんまり。その10年前も4ヶ月だけだったし。
だから経験値低いんだよね~」
はあ。10年前ったら中学生。
そりゃそうだよな。
「バンドやってたし、そういうのに興味もなかったんだよねー」
へえ、バンドやってたのか。
「よしみちゃんは?」
ああ聞かれてしまった。
しょうがない。
「なーんにも、ない。一度もない。」
へ?って言った。ウソでしょう。
いやだからないもんはないわけで。
キミみたいにモテるタイプでもないので。
「信じられないなああ」
そんなに驚かなくても。
その後、駅に着くまでひでちゃんはその中学生の時の恋バナを延々してた。
よくしゃべるなあ、と思って聞いていた。
何食べたい?って聞いたからラーメンって答えた。
とりあえず京都駅に行って探したら駅ビルの中にラーメン屋さんがたくさん入ってる
テナントがあったので、その中の一軒に入った。
久しぶりに食べるラーメンはおいしかった。
ちゃんと合掌して、ふたりでいただきますって言って食べた。
あ、チャーシュー入ってる。
肉だね、でも与えられたものはありがたくいただこう。
とか言って。
その時ひでちゃんの話は大学時代やバンドの話になっていた。
バンドやるために大学やめたとか、バイト三昧だったとか。
免許を見せてもらったら金髪だった。
なんだか、今のほうがいいよ。って私が言った。
私の免許見せたら、
なんだか、今のが若いね。って言った。
それって童顔ってことでしょ。
ラーメン食べて外に出たら風が強くて少しさむかった。
ひでちゃんは自分の上着を脱いで私にかけようとした。
私はあまりにも恥ずかしくて、慌てて
大丈夫、大丈夫!それはやめてよ。恥ずかしいじゃんって断った。
やっぱり中に入ろうと言って、伊勢丹のなかのカフェに入った。
コーヒーかなんかを飲みながらひでちゃんは生長の家に触れたきっかけや
自分の病気のことを話し出した。
笑って話していたけど、相当につらいことだってことだけはよく分かった。
この人は今、死ぬか生きるかの状態なんだ。
私なんかには想像できないほど凄い治療を受けて、宇治にやって来たのだ。
私は聞いていてだんだんつらくなってきた。
と同時になぜか眠くなってきた。
コーヒー飲んだのに。
ねえちょっと聞いてんの?
聞いてる聞いてる。
眠いの?
いや眠くないよ。
すごくねむそうだよ。おーい。
もう一杯コーヒー飲みなよ、おごるから。
いやいーよそんな。
だってねるんだもん。
ねてないってば。
言ってるうちに2杯目のコーヒーがきた。
自分のマヌケさに少しあきれた。
まだ2時か3時くらいだったけど、宇治に戻ることにした。
あたたかくなってきて宇治川沿いを散歩でもしようと思った。
二人で塔の島へ行った。
「なんかおればっか話してるから、よしみちゃんのこと話してよ。」
何を話せばいいのか分からなかった。
私が宇治に来たのは鬱病と母親との摩擦が原因だった。
鬱病はほとんど良くなってた。
でもひでちゃんに比べたら私のことなんてなんでもないような気がした。
家族が大好きと言える人に、母親が大嫌いだったとは言えなかった。
あとひでちゃんが聞きたがっていたのは私の恋愛のことだったので、
まるで何もない私には話すことがなかったのだ。
というか、私は昔から恋愛も結婚も子供を生むことも怖くて怖くてしょうがなくて、
だからもうずっとひとりでいいと思ってた。
宇治に来て半身さんとか、結婚のすばらしさとか聞いても
ぜんぜん気持ちが変わらなくて、どうして自分がそういうふうに思うのか
全然分からないけど、とにかくそういうの今の私にはいらないのって
とても正直に、はっきり言ってしまった。
別にひでちゃんを拒否したわけでもなく、
ただ今の自分の思ってることを正直に言った。
でもこんなことを男の子に話すのは初めてだった。
なんで出会ってまだ間もない人にこの自分のネックになってる部分を
全部話しちゃったんだろうと思った。
「そうかああーー」
ってひでちゃんは言った。
「明日どっかメシ食いにいかない?」
と言った。
断る理由もないので
「いいよ」
って言ったら、すごくうれしそうだった。
「明日が最後の自主研でしょ。いちど一緒にどっか行きたかったんだよ」
なんだか、照れた。
最後の自主研の日は曇っていた。
私が受付に行こうとしたら
ひでちゃんに廊下でばったり会った。
大拝殿の下の休憩室で待ち合わせることになっていたけど
すぐ会えた。
二人で本山を出てすぐにひでちゃんはしゃべりはじめた。
「おれこんな風に女の子誘ったの初めてなんだよ」
いきなりなんなんだー
かっこいいカオしてるんだし、いくらでもモテるだろうに。
彼女くらい何人かいただろう。
そんなようなことを私が言ったら
「もう10年いないよ」
へええ~ 意外だね。
「でもモテるでしょう?」
って聞いたら10年の間に12人もの女の子に告白されたそうな。
「そんでも付き合おうとはしなかったわけ」
「うん。なんかあんまり。その10年前も4ヶ月だけだったし。
だから経験値低いんだよね~」
はあ。10年前ったら中学生。
そりゃそうだよな。
「バンドやってたし、そういうのに興味もなかったんだよねー」
へえ、バンドやってたのか。
「よしみちゃんは?」
ああ聞かれてしまった。
しょうがない。
「なーんにも、ない。一度もない。」
へ?って言った。ウソでしょう。
いやだからないもんはないわけで。
キミみたいにモテるタイプでもないので。
「信じられないなああ」
そんなに驚かなくても。
その後、駅に着くまでひでちゃんはその中学生の時の恋バナを延々してた。
よくしゃべるなあ、と思って聞いていた。
何食べたい?って聞いたからラーメンって答えた。
とりあえず京都駅に行って探したら駅ビルの中にラーメン屋さんがたくさん入ってる
テナントがあったので、その中の一軒に入った。
久しぶりに食べるラーメンはおいしかった。
ちゃんと合掌して、ふたりでいただきますって言って食べた。
あ、チャーシュー入ってる。
肉だね、でも与えられたものはありがたくいただこう。
とか言って。
その時ひでちゃんの話は大学時代やバンドの話になっていた。
バンドやるために大学やめたとか、バイト三昧だったとか。
免許を見せてもらったら金髪だった。
なんだか、今のほうがいいよ。って私が言った。
私の免許見せたら、
なんだか、今のが若いね。って言った。
それって童顔ってことでしょ。
ラーメン食べて外に出たら風が強くて少しさむかった。
ひでちゃんは自分の上着を脱いで私にかけようとした。
私はあまりにも恥ずかしくて、慌てて
大丈夫、大丈夫!それはやめてよ。恥ずかしいじゃんって断った。
やっぱり中に入ろうと言って、伊勢丹のなかのカフェに入った。
コーヒーかなんかを飲みながらひでちゃんは生長の家に触れたきっかけや
自分の病気のことを話し出した。
笑って話していたけど、相当につらいことだってことだけはよく分かった。
この人は今、死ぬか生きるかの状態なんだ。
私なんかには想像できないほど凄い治療を受けて、宇治にやって来たのだ。
私は聞いていてだんだんつらくなってきた。
と同時になぜか眠くなってきた。
コーヒー飲んだのに。
ねえちょっと聞いてんの?
聞いてる聞いてる。
眠いの?
いや眠くないよ。
すごくねむそうだよ。おーい。
もう一杯コーヒー飲みなよ、おごるから。
いやいーよそんな。
だってねるんだもん。
ねてないってば。
言ってるうちに2杯目のコーヒーがきた。
自分のマヌケさに少しあきれた。
まだ2時か3時くらいだったけど、宇治に戻ることにした。
あたたかくなってきて宇治川沿いを散歩でもしようと思った。
二人で塔の島へ行った。
「なんかおればっか話してるから、よしみちゃんのこと話してよ。」
何を話せばいいのか分からなかった。
私が宇治に来たのは鬱病と母親との摩擦が原因だった。
鬱病はほとんど良くなってた。
でもひでちゃんに比べたら私のことなんてなんでもないような気がした。
家族が大好きと言える人に、母親が大嫌いだったとは言えなかった。
あとひでちゃんが聞きたがっていたのは私の恋愛のことだったので、
まるで何もない私には話すことがなかったのだ。
というか、私は昔から恋愛も結婚も子供を生むことも怖くて怖くてしょうがなくて、
だからもうずっとひとりでいいと思ってた。
宇治に来て半身さんとか、結婚のすばらしさとか聞いても
ぜんぜん気持ちが変わらなくて、どうして自分がそういうふうに思うのか
全然分からないけど、とにかくそういうの今の私にはいらないのって
とても正直に、はっきり言ってしまった。
別にひでちゃんを拒否したわけでもなく、
ただ今の自分の思ってることを正直に言った。
でもこんなことを男の子に話すのは初めてだった。
なんで出会ってまだ間もない人にこの自分のネックになってる部分を
全部話しちゃったんだろうと思った。
「そうかああーー」
ってひでちゃんは言った。
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